意識にあげる三次元価値観

 

こんにちは。

お久しぶりのリリーです。

最近はリアルな世界が気持ち良すぎて

さらに気づきが多すぎて

書くの間に合わん🤗

っ感じでめっきり発信をやめてしまっていました←

でも今日は最近の自分の感動を自分のために

ちょっと書き残しておきたいな

ということで久々にパソコンカタカタしております。

パソコンちゃんと開いたの半年ぶり!←

インスタ投稿でもよかったんですがね

多分文字数多くなりそうなんでこっちに書きます。

よければ読んでください◎

 

全てはこの一本の口紅から始まった

私最近、美容系のYouTubeチャンネルにハマってまして

そのYouTubeのお化粧品紹介の回で

ゲランのクッションファンデがいい! 

という情報を入手して

これは試したい!と次の日速攻博多阪急のゲランに行って参りました。

でもですね、

ファンデを試したい場合ファンデのみ試す

ということはデパコスではできないんですね。

(デパコスのファンデ試したことないから知らなかった)

 

メイク落としから始まり

スキンケア数種から日焼け止め、下地、よくわからない液

ファンデやらフェイスパウダーやらコントロールカラーやらチークやら

土台作るだけで10種類以上のものを試すことになり

時間も20分以上かかり

 

リリー

こんなに塗ったらもう何がよかったのかわからん。

ファンデ、いらん(´・ω・`)

はよ帰りたい。

となっていたところ

最後の仕上げで色味が自分に合いそうなゲランの口紅を塗りました。

それが運命の出会いです。

その口紅は

色が濃いのにほどよいシアー感(透け感)があって

春夏に重くならずに使える素敵な代物で

私に強烈なミラクルパンチを喰らわせてくれました。

クッションファンデを買いに行ったのに

気づいた時には

これください。

と、クッションファンデには目もくれず

左手に口紅

右手に財布を持っている私がいました。

リリー
ちなみにその口紅は2021年の新作で「キスキス シャイン ブルーム」って名前です。

ネーミングセンス∧( ‘Θ’ )∧←

んで4700円もしましたわ。

口紅にこんな大金払ったの初めて♡

質感という情報に少しずつ魅了される

で、ですね。

その日から

試さなければわからなかった

シアーな質感というものに

私の中の感動がじわじわと増幅していくわけです。

リリー

私の感動って、そのほとんどが

ドン!って大きな刺激で訪れるのではなく

じわじわ。じわじわ。といつも

押し寄せてくる感じで、心の中で私自身

え、これきた?感動きちゃった?

とわくわくします。

女性なら納得してもらえると思うんですが

口紅というものは

大前提【色】で選びます。(もしかしたら違う人もいるかもしれないけど)

私の中に塗るまで【質感】の条件は意識の中に入っていなかったんですね。

塗るまで一切わからない情報が質感だな、と。

そういうことって【食】の世界にもあるんではないか、と。

そういう触れなければわからないことを

伝える素敵な表現力を持つことは

Switchのお仕事のなにかヒントになりそう。

と、最初はそんな感じでときめき

わくわくを感じていました。

色だけではない質感のx軸とy軸

シアーというものの意味を調べる中で

マットシアー 

という口紅の存在があることを知ってしまいました。

ちょ、待てよ。と。

マットとシアーは共存できんの?

マットとシアーは反対語じゃないのかい。と。

どっちなんだい。

ヤーーーーー

  https://sp.comics.mecha.cc/free/mechamaga/articles/nakayama_kinnikun_ivより画像拝借

と。

調べてみて分かったんですが

マット(光沢がない・艶がある)

の反対はシャイニー (光沢のある)

シアー(透け感がある)

の反対はカバー(覆う)

ということでした。

これを知った時私の脳天に衝撃が走りました。

なんというか

というように見ていた世界が実は

であり、

二次元だと思っていた世界に

別のベクトルy軸が誕生したのです。

例えば

シアーとマットを別のベクトルにあるもの

と理解していても

この世界しか見えていないわけです。

しかし

シャイニーとカバーが現れたことで

私の口紅の世界は何倍にも広がり円になる勢いさえ手に入れました。

リリー

口紅の質感で調べるとさらに

セミマット・クリーミーマット・パウダリーマット

など細分化できる表現がありましたし

メタリックっていうジャンルもありました。

ややこしくなるので、ここには書かないでおきますね!笑

情報発信者に感じていた違和感

私は最近ツイッターでお仕事や趣味の情報収集をすることが

多くなって

その中で感じていた違和感というか

私自身の価値観

みたいなものに

この質感のベクトルから気づいてしまったわけです。

どんな世界の発信でも

【すごい人と繋がった感動】みたいなものって存在しますよね。

ビジネス系でいうと

より多く稼いでいる、または稼ぐ力がある人

でしょうか。

すごい人はすごい人と繋がる。

そんな当たり前が

なんだか2次元の価値観で繋がっているようで

ちょっと気持ち悪く、繋がりが浅く見えてしまうときがありました。

自分自身もインスタをやっていて

横の繋がりを作りたくない

と最初思っていたのはなんとなく

そういう【利用できる・しあう人間関係】を

オブラートに包みながら【友達】としてしまうことに

寂しさや虚しさを感じていたからでした。

リリー

そのあとは

  • 情報が本質的な人
  • 人間的に興味のある人
  • 人として素敵な人

とは繋がっています。

また、なにかビジネスを展開するときに

パートナーに求める条件は

ほとんどの場合

基準が【同じくらい稼ぐ力があるか】になっています。

これはいい価値観というか

大切なベクトルではあると思うんです。

けれどさっきの図にこれを当てはめると

x軸のみの二次元的モノの見方なんですよね。

大切なのは

  • その人がどういうy軸を持ってて
  • 自分自身がどういうy軸価値観でその人をみたいのか

ということではないのかな、と。

きっとみんな意識に上がってないだけで

いろんな価値観が交差しながらものを見てきたと思うんです。

でも、それが意識に上がってないからこそ雑念とされてしまって

見やすいx軸だけでみることが正しい戦略になってしまったのかな、と。

私はそういう二次元的人間関係に飽きたし

古いのではないかな、と思うのです。

リリー

ただ一つ言えるのは二次元的にモノを見たのちに

体験し気づくことも沢山あるので

全ての人の今の行動、今の価値観、モノの見方が間違いであるとは思いません。

けれど、

今の時代沢山の価値観が発信され

日々新しい価値観が生まれ

人に影響を受けやすい環境の中で

自分の価値観や軸がどこにあるのか問い直す機会

考えてみることは大事ではないかと思うわけです。

じゃないと根幹が育たないので振れ幅が多くなり、疲れてしまいますからね。

またIT、そして身近なことでいうと

SNSがどんどん進化していく中で

ネットで起業する人も増えました。

情報発信やコミュニティを形成する中でも価値観を立体にすることで

より深い人間関係を築け、自分のブランドにも深さが生まれ

流行ではなく固定されたファンや仲間ができるのではないかと思います。

価値観から深まる自己理解

昔から私は

キラキラ生きる人への憧れ

が人より少ないように思っていたんです。

例えばインスタの煌びやかな世界

かわいい女子会

高級でハイクラスな暮らし。

例えばこれを一般庶民である私が口に出すと

実は憧れてるんでしょ?

という裏返しに捉えられることがイヤで

わざわざ口には出してきませんでした。

で、ちょっとこの機会に私の中のx軸とy軸を考えてみました。

私の中のXとY

私の場合の憧れてしまうキラキラ生きる人は

何か好きなことに没頭している人(x軸)×人間的深さがある(y軸)

でした。

なので孤独のグルメにでてくるお店のマスターなんかには

うっとりすることも多いんですよね。

リリー
シーズン8のミートパトラの回なんか最高萌え。小さなお店の宇宙感がかっこいい。

x軸とy軸を意識に上げてあげたからこそ

表面的なものや

すぐに見てわかる情報への憧れへの薄さが

僻みでも妬みでもなく

それでいいんだ。

と思えたわけです。

価値観を正しく三次元で見てあげることで

自分への肯定力も高くなる気がします。

例えば起業する

ということを三次元の価値観で見た時に

お金持ちになりたい

というx軸があるとします。

で、ここだけ終わってしまう人が結構多いんですよね。

(だから稼いだ後になんのために仕事しているんだろう、と悩むわけです。)

y軸がなんなのかちゃんと考えてあげると

自分がどうなれば辛いのか

どうすると心地いいのか

仕事のやり方

人との繋がり方

お金の価値観まで変わってきますよね。きっとね。

こんな経験はありませんか?

自分が好きなモノの話や考えていることを人に話したとき

わかる

と言われる経験。

私もよくいうんですけどね←

さらによく言われるし

全然問題ないんですが

ごくたまーーーに

わかる

と言われて違和感を感じることってないですか?

その人と自分が言っていることは同じなのに

感じる違和感。

これの正体が【深さ】ではないのかな、

とふと思ったんです。

その深さって測れるモノでもないし

自分の方が深いとも思わないけれど

その違和感は=浅さ

に感じているのではないかと。

余談

私はこの三次元の価値観の図を

平面には見ていなくて

感覚的には

こんなシャボン玉みたいな立体の球体に捉えています。

人や自分の成長をこういう感じの螺旋状に

 

捉えているので

価値観は日々変化しながら

戻った、と思わせながら

感覚が上がっていきます。

また、先ほど書いた

【人としての深さ】が私基準で底辺の人がいたとします。

でもこれもまた面白くて

深さが突き抜けて無ければ

それはそれでぐるんっと  

深さに変わったりもするんですよね。w

三次元価値観を大事にしたあとは

立体と意識してあげると

ほうほうほう

と一人遊びできますよ。笑

 

価値観なんていくつかあって当たり前で

そのいくつかを基準にモノを考えるの当たり前じゃない?

と思う方もいるだろうし

私もそう思ってたのに今感動してるのは

いくつかの価値観のベクトルが円を作っていたことに気づいて

その螺旋階段をまた上がったからだと思います◎   

(前は感覚的にだけど、ベクトルは常に1つ1つ独立しているものでしか見てなかった。

つまり二次元でしか見ていなかった。

わかりやすいようにxとyしか出してないけど、実際にはいくつものベクトルが出ていて

それが立体になって三次元になっているイメージ。)

この動画の冒頭に

私たちの住む世界は三次元の世界で 

私たちは三次元で世界を見ています。 

でも実は二次元でしか見えていない。 

し、人間の視覚系は世界を二次元の平面としてしか捉えることができないようにできている。 

というような話が出てきます。

これ!これがまさに今回伝えたかったこと😂

 

口紅一本から広がる世界

特にオチもないなーこの話。

と思いながら

友達2〜3人にこの話をしたら

自分の中でも気づきが深くなる感覚と

メモしたい気持ちが大きくなったので

つらつらと書いてみました。

私はよくこんな感じで

口紅1本からどこか遠い世界に飛んでいってしまうときがあります。

別に世界一周したり

大金持ちになったり

大きな刺激を求めなくたって

真理に近いことだって気づけるだろうな、と思います。

けれど

なかなか当たり前の日常を意識的に見ることはできないですよね。

これは結果論ですが

あの時口紅を試してよかったな

と思うわけです。

YouTubeみてよかったな、

ゲラン行ってよかったな、って。

大きなことはしなくてもいいから

何か小さなアクションが

じわじわと感動を運んでくれて

自分自身の見えない深さを広げてくれるな、って。

小さなアクション×意識にあげる力 

これ大事ですね。

私の学びです。

そして三次元価値観

おもしろい。←

あまり上手に書けなかったですが

【私的萌えな気づき】

最後まで読んでくださった方

本当にありがとう。

リリー

2 件のコメント

  • 悩みや問題の答えを探そうとするとき、白か黒、100か0で迷うことが多いですが、「それだけじゃないんだよ~」という小さなヒントをよくお返事してました。

    水彩画のようなグラデーションの状態もいいし、白黒パキッと決断するのもいい。同じところをぐるぐる回っているようでも、竜巻のように状態が円を描きながら上昇している可能性もあったり。

    そこに心や感情、五感が加われば、どんな風に受け止めることも間違いではないんだよ~、と。そうなると、これは何次元なんだろう?と、ひとり問答も始まります(笑)

    • アラサワさん 
      ある意味何次元でもなさそうだね! 
      無でもあるし
      最大の可能性でもあるし。 
       
      自由って結構難しいな、と思う。 
      そこにいくまでの登り方を人は知りたいし 
      経験してみたい(しないと納得しない)のかな、とか最近思う。

  • riri へ返信する コメントをキャンセル

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です